聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「第二の幕屋には、大祭司だけが年に一度だけはいります。」(へブル9:7)

 今日のヘブル人への手紙9章では、ユダヤ教における神殿儀式との対比を通して、イエス様の十字架の贖いの意味が説明されています。
 ユダヤ教では、旧約聖書の教えに従って、聖所と呼ばれる場所が設けられ、さらにその聖所の奥には至聖所と呼ばれる神様ご自身にお会いできるとされる場所が設けられていました。聖所と至聖所の間には、垂れ幕があり、そこを通って至聖所に入ることができるのは、大祭司だけで、しかも年に一回だけと厳しく制限されていました。
 9節で言われているように、この幕屋の構造や幕屋に入ることについての制限は、神様が本来はどんなに近づき難い方であるかを目に見える形で人々に教えていたわけです。さらにまた7節や19節から22節に記されているように、いけにえの血なしに至聖所に入ることができなかったことは、誰かが身代わりに血を流してくれて、罪・汚れが清められることなしには、神様に近づくことはできないということをわからせるためのきまりであったというのです。
 神様が本来はそれほど近寄り難いお方であるということ、にもかかわらず、今、こんなにも神様に親しく呼びかけ、祈ることができるということは本来ならばあり得ないこと、実はとても考えられないほど大きな恵みであるということがわかっていない、だから、そうできるようにしてくれたイエス様の十字架の贖いがどれほど大きな意味のあるものかがなかなかわかっていない、その結果、感謝の乏しい、不平不満だらけの歩みに陥ってしまっている、そんなことが私たちにはないでしょうか。もう一度、自らの在り方を顧みさせていただきましょう。

中谷建晴



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