聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」(へブル5:7)

 今日のヘブル人への手紙5章では、昨日の4章の最後、4章14節・15節からの続きで、大祭司としてのキリストについて語られています。
 1節から4節では、ユダヤ教における大祭司がどういうものかということが語られています。すなわち、神の民の中から選ばれた者であり、神の民の罪のためのいけにえを神にささげるという役割を負っているということ、そして、それに付け加えて、人々の中から選ばれた者なので、人々の弱さを思いやることができるということが言われています。つまり、大祭司の本来の役割は人々の罪のために神にいけにえを捧げる所にあるというのです。そして、イエス様もそのようなお方だというのです。すなわち、イエス様の最も大事な役割が、私たちの罪のためにご自身をささげるという所にあり、私たちに思いやりを示して下さるということはあくまで2次的なことなのです。言葉を代えれば、私たちの本当の問題は、罪であり、そのままでは裁きを受けて滅ぼされてしまうということであり、イエス様は何よりも、そこに解決をもたらすために来て下さったお方なのです。にもかかわらず、そのことをないがしろにして、イエス様に、傷つけることなく結果だけ幸せにしてくれる、そのような都合のいいやさしさを求め、それが得られないと嘆いているというようなことはないでしょうか。そのような姿勢は、7節で触れられているゲッセマネでの祈りをされたイエス様とは正反対です。イエス様は自分の願いではなく、神様の御心がなるように祈られ、そして、私たちの身代わりとなって、傷つくとか傷つかないどころではない、十字架の上で苦しみと辱めの限りを受けて下さったのです。
 自分の罪とそのために受けなければならないはずであった神の裁きを軽く見ていたことを悔い改め、イエス様に倣う歩みへと踏み出す必要が私たちにはないでしょうか。

中谷建晴



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