聖書一日一章メッセージ集![]()
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| 堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにしたばあい、どうしてのがれることができましょう。」(へブル2:3) 今日のヘブル人への手紙2章では、イエス様の贖いによる罪の赦しと永遠の命の約束が、救いが、どれほど素晴らしいものであるのか、ということが主に語られています。 1節の最後には「押し流されないようにしなければなりません」、3節には「救いをないがしろにしたばあい」ということが言われていますが、これらの言葉は、せっかくイエス様にある救いに与かっても、この世の流れに流されてしまって、救いをないがしろにし、そうして、救いを失ってしまうということがありうるということを示唆しています。一度、信仰を告白した、洗礼を受けた、だからもう後はどんなにいい加減なことをしていても大丈夫というわけではないのです。今この時、イエス様との生きた関係の中にいるかどうかがいつも問われているのです。果たして、今この時の自分はどうなのか、自らを顧みさせていただきましょう。 5節から8節では、天使ではなく、救われた者たち、救われた人間こそが、やがて来る新しい世界を治める者になるということが言われています。救われるということは、何とか罪を赦してもらって、何とか天国に入れていただけるというだけのことではなく、やがての世界を支配する者となるということなのです。ですから、私たちのこの地上での歩みは、やがて王様になる王子の子ども時代、青年時代のようなもの、全てが将来、輝かしい立場に立った時のための訓練であったり、学びであったりなのです。9節・10節、18節などでイエス様の受けた苦しみや辱めや誘惑が全てそうであったと言われているように、私たちの受ける苦しみや辱めや誘惑も、全て王となる備えなのです。ですから、決して、打ち負かされてしまってはいけないのです。 中谷建晴 |