聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」(ガラテヤ6:7)

今日の6章でガラテヤ人への手紙は終わりです。
この6章の前半でパウロは5章16節、18節、25節などで命じていた御霊によって歩むということは具体的にはどういうことなのかということを語っています。
1節では、あやまちに陥った人を正してあげるということが挙げられています。1節の最後で示唆されているように、自分も同じ弱さを持っている者として、あやまちに陥っている人を赦し、手を差し伸べることが、御霊によって歩むということの具体的に意味することとして第一に挙げられていることであるわけです。
2節ではそうやってお互いに助け合うこと、あるいは、助けてもらうということが挙げられています。自分も他の人に助けてもらおうとは思わないので、他の人が困っていても助けるつもりはない、という態度は御霊による歩みとはかけ離れたものであるわけです。
3節と4節では、1節から2節にかけて述べられて来たことを実行するための妨げになるものは何かということが指摘されています。3節では、自分はそんな小さなことに関わるようなレベルの人間ではないというようなうぬぼれが、4節では自分はこれだけよくやっているのだから、もうこれ以上、他の人に関わる必要はないという自己満足が挙げられています。続く5節で重荷と訳されている言葉は荷物ぐらいの意味の言葉ですが、2節で使われている言葉は、特別に重い荷物を表す言葉です。ですから4節から5節では、自分の当然負うべき重荷を何か特別なことと見なして、それでもう十分だ、もう無理だとすることの過ちが指摘されているようです。
6節から10節は、主にお金の使い方について語られている箇所のようです。お金をどう使うかは、その人が本当の所、何が大事だと思っているかを表すものだというのです。私たちはどうでしょうか。


中谷建晴



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