聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「御霊によって生まれた者」(ガラテヤ4:29)

昨日の3章に続いて、今日のガラテヤ人への手紙4章でも、パウロは、救いは恵みのみによるという自分が教えて来た教えの正しさを示そうとしています。3章での議論と同じ様に、パウロは理論的に語りながら、同時にガラテヤのクリスチャンたち自身が体験して来たことにも訴えています。すなわち、9節では、形の上で律法を守ること、特に割礼を受けることが何の力も、何の喜びももたらさないことをよくわかっていたはずだということを、また、15節から16節では、パウロから福音を聞いて、これこそが真理だと大きな喜びをもって受け入れたことを思い起こすようにということを、パウロは言っているわけです。12節の冒頭の「お願いです」という言葉などで特に明らかなように、ガラテヤのクリスチャンたちへのパウロの熱い思いがここには溢れているように思われます。
21節からは、一つ一つの事柄に深い意味を読み込み過ぎる、いわゆる寓喩的な解釈ではないかと問題にされることが多い箇所です。しかし、おそらくは、パウロの教えを否定する、いわゆる律法主義者たちが、旧約聖書を説明する方法として用いていたのが、正にそのような寓喩的な解釈であったので、パウロは敢えて、そういう寓喩的な解釈にのっとった説明をしてみせたのではないかと言われています。いわば敢えて敵の土俵に乗って、自分の正しさを徹底的に明らかにする、ということだったのではないか、というわけです。
パウロはその中で律法を守ることによって救われるという考えは、アブラハムの女奴隷から生まれた子どもがそうであったように、人間の力によるもの、人間の考えによるものであり、いつまでも自由を経験できないものであるということ。そうではなくて、自分の教えこそが、人の力、人の考えによらない、神の約束によるものであり、霊によるものであり、人に自由を与えるものであるということを語っています。
そのように、私たちが招かれているのは、自分で理解して、納得して、努力して、決心して、頑張ってという生き方ではないのです。そうではなくて、ただ神様の約束に依り頼んで、人の思いを越えた神様の霊的な力が自分の内に働くことを経験する者、そうして心から神様を恐れ、心から神様を賛美し、神様のご栄光を表す歩みをする者とならせていただきましょう。

中谷建晴



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