聖書一日一章メッセージ集![]()
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| 堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ6:12) 今日のエペソ人への手紙6章の後半、特に10節から18節で、パウロはこの手紙を閉じるに当たって、これまで語って来たことを締めくくる言葉を書き残しています。 1章の前半でパウロは、エペソのクリスチャンたちに、自分たちの救いは神様の永遠の昔からのご計画によるもので、救われた自分たちが主に賛美と感謝を捧げつつ信仰の歩みを全うすることがどれほど大きな意味のあることかということを語り、その具体的な現れとして、1章の最後から5章の途中まででは教会生活について、5章の後半から今日の6章の初めまででは家庭生活について語って来たわけです。これらの事柄は、キリストを信じて生きるということは、教会の一員として教会を共に建て上げるということ抜きにはあり得ないことであるということ、また、最も身近な隣人である家族に対する態度に現されるべきものである、ということを示していたわけです。言い換えれば、教会の一員として共に教会を建て上げること、、家族に対して御心にかなった関わり方をすることを通してこそ、神様のご栄光は現されるということであるわけです。 今日の6章の10節から18節では、そういったこと全ては、霊的な戦いであり、霊的によく備えることなしに勝利を得ることは難しいということをパウロは語っているわけです。言葉を代えれば、教会の一員として教会を建て上げること、家族に対して御心にかなった態度を取ることには、戦いがつきものだということ、それは霊的な戦いだということ、逆に言えば、悪魔は何とかして、私たちがそうしないようにしようと全力を尽くしているということなのです。にもかかわらず、何の霊的な備えもなく家族の中で一日を始め、何の心構えもなしに教会に集い、まんまと悪魔の術中にはまって、家族に対して御心とはかけ離れた態度を取ったり、教会でちゅっとしたことでつまづいたり、或いは気がつかないうちに他の人をつまづかせたりしているということはないでしょうか。日々、霊的な備えをして歩み始めるもの、そうして家族の中においても、教会の中でも主のご栄光を現す者とならせていただこうではありませんか。 中谷建晴 |