聖書一日一章メッセージ集![]()
![]()
| 堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「なぜなら、それはキリストによって取り除かれるものだからです。」(2コリント3:14) 今日の第二コリント3章では、パウロが自分の使徒しての権威を主張しています。 使徒というのは、イエス様の復活の証人として、初代教会において特別の権威を認められていた人々のことです。極端な場合には12弟子にしか使徒としての権威を認めない人たちもいたようですが、コリントの教会の場合はそういうわけではなかったようです。しかし、今日の第二コリント3章1節で示唆されているように、推薦状を持っていないから、パウロは使徒ではないという人たち、或いは、4節以降で示唆されているように、ユダヤ的な色合いの薄さゆえにパウロの使徒性を否定する人たちがいたようです。 前者については、1節から3節で、コリントの教会はパウロの伝道の結果生まれたものであるのだから、コリントのクリスチャンたちはパウロを通してイエス様を信じるようになったのだから、今更、推薦状を持っていないということが問題になるはずなどないではないかということをパウロは語っています。 後者については、後に11章でパウロは自分が生粋のユダヤ人であるということを詳しく語っていますが、今日の3章ではユダヤ的なものの有無について問題にすることの愚かさが指摘されています。すなわち、ユダヤ人が守って来た律法は、人に罪を悟らせるだけでしかないのに対して、パウロの宣べ伝えている福音は、罪の解決を、罪の赦しと永遠の命の約束を与えることのできるものだというのです。にもかかわらず、私たちは自分の罪を見つめるばかりで、その罪が赦されている、神様との交わりの中に生きることができるという所になかなか目を向けようとしないということはないでしょうか。もうい一度、自らの在り方を顧みさせていただきましょう。 中谷建晴 |