聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「私たちはキリストのために愚かな者ですが、あなたがたはキリストにあって賢い者です。」(1コリント4:10)

 今日の第一コリント4章では、パウロがコリントのクリスチャンたちの信仰についての理解が全く見当違いのものであることを厳しく指摘しています。
 8節と10節は、コリントのクリスチャンたちが、イエス様を信じることによって、心が満たされ、豊かに、また、賢く生きることができるようになると思っていたこと、そして、もう自分たちはそうなっているので、今更、パウロから指導や叱責を受ける必要などないと思っていたらしいということを伺い知ることができます。コリントのクリスチャンたちのそのような姿勢は、ギリシャ哲学の中でも当時、有力であったストア派が自己充足を、自分の心が豊かで満たされている状態、を理想としていた所から来ていたようです。しかし、そのような状態、或いは、そのような状態を理想とする姿勢は、イエス様がルカ6章20節から21節でおっしゃられた「貧しい者は幸いです。」「いま飢えている者は幸いです。」「いま泣いている者は幸いです。」というお言葉とはかけはなれたものです。パウロは、そうではなくて、キリストのために愚かになり、キリストのために損をし、キリストのために苦労をし、キリストのためにはずかしめられる、にもかかわらず、不思議な喜びと平安がある、それこそがキリスト者としての生き方であるということを語っているわけですが、私たちはどうでしょうか。イエス様を信じることが、いつの間にか、自分が心豊かに、心満たされて、そして、賢く生きるためのものになってしまっている、そのような見当違いの歩みに陥ってしまっているということはないでしょうか。

中谷建晴



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