聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。」(1コリント3:14)

 今日の第一コリント3章から、コリントの教会について、パウロが何より心を痛めていたのは、その分裂騒ぎであったことがわかります。
 まず、1節から9節では、パウロにつく、とか、アポロにつく、とか言っている者たちは、霊的な目が全く開かれていない、ということが指摘されています。7節や9節ではっきり言われているように、人に救いをもたらし、救われた人を成長させて下さるのは、神様であって、パウロも、アポロも、そのために神様が用いられた道具にしか過ぎないのに、そのことがわかっていない、あたかも、パウロの熱心さが救いをもたらし、アポロの雄弁が成長をもたらしたかのように思っているのは、見当違いもはなはだしいというわけですが、しかし、私たちはどうでしょうか。あの先生は素晴らしい、あの姉妹は素晴らしいなどとほめそやしたり、感心したりはするけれども、その方々を用いておられる神様、その方々を通して、私たちに語りかけ、私たちを導いておられる神様には目を向けようとしないままということはないでしょうか。
 10節から15節は、キリストこそだ土台であるということ、そして、私たちがキリストの恵みにどう応答するかによって、やがての時にどういう報いを受けるかに違いが生じるということが言われています。12節で言われているように、心から主を愛し、主のためになされている業も、人からの評価を求めてなされている業も、実は自分のためになされている業も、一見した所、違いはないけれども、やがての時に、その違いは明らかにされるというのです。15節で言われているように、だからといって、救いそのものを失うわけではありませんが、それでも、やはり、主から「よくやった。よい忠実な僕だ」と言っていただけるよう、主のために励もうではありませんか。

中谷建晴



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