聖書一日一章メッセージ集![]()
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| 堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「そのようなものは、人間の好き勝手な礼拝とか、謙遜とか、または、肉体の苦行などのゆえに賢いもののように見えますが、肉のほしいままな欲望に対しては、何のききめもないのです。」(コロサイ2:23) 今日のコロサイ人への手紙2章の8節から23節は、コロサイの教会に入り込んで来ていた間違った教えに対して、最もはっきりとパウロが反論している箇所です。 8節で一般的な形で警告を与えた後、まず、9節から15節でパウロはキリストがどういうお方であるかということを語っています。すなわち、9節と10節では他の何物とも同列に置くことのできないお方であるということ、11節から15節ではキリストこそが救いをもたらすお方であり、また、キリストだけで十分である、ということを語っています。そして、そのことを受けて、16節から23節では救われるためには、キリストを信じる信仰の他には何も必要がない、ということを語っています。すなわち、16節から19節では、食べ物、飲み物についての宗教的なしきたりを守ること、宗教的な暦に従って定められたしきたりを守ることなどは救いのために必要ではない、ということが、また、20節から23節では禁欲主義は救いをもたらすものではない、ということが言われています。 14節で特にはっきりと語られているように、イエス様が私たちの罪を身代わりに背負って、十字架の上で死んで下さったことによって、そして、12節で言われているように、そのイエス・キリストに信仰によって、結び合わされることで、私たちは罪赦され、新しい命に生きる者とならせていただけるのです。決まりを守ったり、宗教的な行事を守ったりすることが救いをもたらすわけではないのです。大事なことは、キリストご自身と結び合わされていることです。私たちはどうでしょうか。礼拝を守っているから、とか、罪とされるようなことはしていないから、ということで自分をよしとして、一番肝心な自分がキリストの命に結ばれるということをないがしろにしているようなことはないでしょうか。 中谷建晴 |