聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「昔から、町ごとにモーセの律法を宣べる者がいて、それが安息日ごとに諸会堂で読まれているからです。」 (使徒15:21)

今日の使徒の働き15章では、キリスト教会の歴史上、第一回の教会会議にあたるエルサレム会議でのやり取りとその前後の経過が記録されています。
初代教会のクリスチャンたちは、イエス様を旧約聖書で預言されていた救い主、キリスト、として受け入れ、そのことを宣べ伝えていただけで、新しい宗教や宗派を始めたつもりはありませんでした。あくまで、自分たちの信仰はユダヤ教の延長線上にある、と考えていました。ですから、1節や5節で記録されているような人々が出て来たのは、ある意味ではごく自然なことでした。
これに対して大勢の異邦人が割礼や律法ということを意識しないままに信仰を持ち、聖霊を与えられるのを目の当たりにしていたパウロとバルナバは激しく反対しました。
エルサレム会議で決定的な役割を果たしたのは、12弟子の筆頭として、皆がリーダーと認めていたペテロでした。彼は自分自身もユダヤ人でありながら、7節から11節で記録されているように、自分たちユダヤ人の伝統的な考えを改めるべきことを説いたわけです。ペテロとそれを聞いたユダヤ人クリスチャンたちがそうであったように、たとえそれまで自分が絶対的として来たものであったとしても、それに反する主の御業を目の当たりにする時、それまでの自分の考えを捨てることは私たちの持っている人間的な限界を越えて、神様の祝福がもっと広がって行くカギになることなのです。
13節から21節のヤコブの演説、特にその中での20節の結論は、神学的、論理的な結論というよりも、ユダヤ人クリスチャンに不必要なつまずきを与えないようにという実際的な配慮の問題として語られたものです。クリスチャンは律法から自由であるけれども、だからといって律法を大事にして来たユダヤ人たちの気持ちを踏みにじるようなことはせず、割礼などを除く、無理のない範囲で配慮を示すことを求めたわけです。私たちもイエス様の救いによって与えられた自由を他の人達の信仰と教会の交わりを建て上げるためにこそ用いさせていただきましょう。

中谷建晴



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