聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「人々はこれを聞いて沈黙し、『それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ。』と言って、神をほめたたえた」 (使徒11:18)

今日の使徒の働きの11章では、カイザリヤでローマの百人隊長コルネリオがクリスチャンになったことをエルサレム教会が認めたこと、それと同じ時期にアンテオケでも教会が生まれたことが記録されています。
1節から3節では、ペテロがユダヤ人以外の者と親しく交わりを持ったことを非難したクリスチャンたちがいた、ということがわかります。つまり、当時、まだキリスト教信仰はユダヤ教の枠組の中で考えられていたということです。この当時までは、ユダヤ人以外の者、異邦人とは付き合わないこと、割礼、豚などの律法で汚れているとされているものは食べないこと、エルサレム神殿での礼拝、などがキリスト教信仰においても必要不可欠なものとみなされていたようです。しかし、カイザリヤでの出来事はそれを否定するものであったわけです。
18節でエルサレム教会のクリスチャンたちがこの出来事を受け入れ、神様を賛美するようになるまでの一時の沈黙はこの事が彼らにとってどれだけ重大な意味があったか、ということを示唆しています。選民意識と呼ばれる、ユダヤ人は神様に選ばれた特別な民族だ、という考えは実質的にこの時、打ち砕かれてしまったわけです。神様の御業は時として、私たちがそれまで誇りにしていたもの、頼りにしていたものを打ち砕いてしまうことがあります。それは大変痛みを伴う経験であるかもしれません。しかし、そこを乗り越えて、自分の思いを越えた神様の御心を受け入れることによって、私たちはさらに素晴らしい神様の御業を経験することができるのです。私たちもそのような一人とならせていただきましょう。

中谷建晴





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