聖書一日一章メッセージ集![]()
![]()
| 堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「このようにして、使徒たちはおごそかにあかしをし、また主のことばを語って後、エルサレムへの帰途につき、サマリヤ人の多くの村でも福音を宣べ伝えた。」 (使徒8:25) 今日の使徒の働き8章では、ステパノの殉教の死をきっかけにエルサレム教会が激しい迫害にさらされるようになったこと、その結果、多くのクリスチャンがエルサレムを去ったものの、彼らが行く先々で証しをしたがために、むしろ宣教のわざが大きく前進したことが記録されています。 1節では使徒たちが迫害の中でもエルサレムに止まったことが記されています。使徒たち以外の者が散らされたことによって宣教の業が前進した一方で、使徒たちがエルサレムに止まったことで教会は連続性を保つことができました。14節から25節で、使徒たちがエルサレムからサマリヤに下って行き、そこで果たした役割を見ますと、そのようにして、エルサレム教会が連続性を保ったからこそ、宣教の業が実を結ぶことができたこと、また、さらに大きく前進することができたことがわかります。教会を維持すること、保つことも宣教を進める上で大きなカギであることを心に止めましょう。 16節でサマリヤ地方での最初のクリスチャンたちが洗礼を受けながらも、聖霊を授かっていなかったことが記されています。しかし、このことがあったからこそ、17節で記されているように、使徒ペテロとヨハネがサマリヤ宣教でも重要な役割を果たすことになるわけです。そして、このことを通してサマリヤのクリスチャンたちはエルサレムの教会とのつながりを確かなものとすることができたわけです。神様は多くを犠牲にしてでも、交わりと一致を保つようにクリスチャンたちを導かれるのです。そして、交わりと一致が保たれている所でこそ、宣教の業は進むのです。交わりに背を向け、一致を損なっても、というような熱心さは、結局の所、宣教の業を進めるどころか、損なうものなのです。 主にあるお互いを喜び、お互いを励ます交わりと一致の中、喜んで宣教の業に励み、主のご栄光を共に拝する者とならせていただきましょう。 中谷建晴 |