聖書一日一章メッセージ集![]()
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| 堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「信仰と聖霊とに満ちた人」 (使徒6:5) 今日の使徒の働き6章では、初代の教会の内部で最初に起こったトラブルがどんな風に解決されたのか、ということが記録されています。 1節では、そのトラブルがどういうものであったのか、ということが記されています。ここで言う「ギリシヤ語を使うユダヤ人たち」とは、地中海世界の各地に移住し、日常生活ではギリシヤ語を使うまでになっていながら、ユダヤ教に対する熱心さのゆえに、ユダヤ本土に帰って来ていたユダヤ人たちのことを指すようです。彼らは、移住先での生活を捨て、多くのものを犠牲にして、約束の地であり、礼拝すべき唯一の場所であるエルサレム神殿のあるユダヤ本土に帰って来ていたわけですが、そういう中からもクリスチャンになる人たちが大勢いたようです。 4章32節から35節で記されていたように、この当時のクリスチャンたちは一切を共有して共同生活をしていたわけですが、「ギリシヤ語を使うユダヤ人たち」は言葉の壁があってコミュニケーションがうまく取れずに、食事の配給の時になおざりにされてしまっていたようです。 2節から6節では、「ギリシヤ語を使うユダヤ人」の中から7名の人物が選ばれ、その問題の解決に当たることになったことが記録されています。 8節以降では、その7人の内の一人のステパノが他の「ギリシヤ語を使うユダヤ人たち」と議論を戦わせるようになったことが記されています。リベルテンというのは、解放奴隷という意味ですが、9節のリベルテンの会堂というのが具体的にどういう場所であったのか、はっきりしたことはわかっていないようです。 13節と14節からしますと、ステパノの説教は、イエス様こそが神様の救いのご計画の中心であることを説き、結果としてユダヤという土地やエルサレムの神殿を絶対的なものではない、とするものであったようです。これは、そのために多くを犠牲にして来た人々を逆上させたようです。 自分がそれまで、これこそは、と思って来たことを否定されることはつらいことかも知れません。しかし、彼らのようにだからといって感情的になって真理に心を閉ざしてしまうならば、そこに救いはありません。そうではなくて、たとえそれまで大事にしてきたことを捨てることになったとしてもステパノたちのように、真理を受け入れ、救いに与かる者、とならせていただきましょう。 中谷建晴 |