聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。」 (使徒5:41)

今日の使徒の働き5章でも、教会がその宣教の業をますます進めて行った様子が記録されています。
1節から11節では、教会の中での神様に対する恐れを新たにした出来事が記録されています。アナニヤとサッピラの夫婦の罪は、偽り、という所にありました。4章32節から37節で記録されているように、当時のクリスチャンは自分の持ち物全部を売り払ってお金に代え、その全てを教会に捧げて共同生活を送っていました。アナニヤとサッピラは、手元にお金を残しておきながら全財産をささげているかのように見せかけようとし、即座に神様からの罰を受けて死んでしまいました。人の目はごまかせても、神様の目はごまかすことはできません。ごまかしたり、取り繕うのではなく、正直に自分の弱さ、過ちを主に告白し、その自分を主に委ね、主に導いていただきましょう。
11節ではこのことが主に対する恐れを新たにしたこと、12節では続いて教会が心を一つにしていたこと、そして、14節ではそういうクリスチャンたちの姿を見て、さらに救われる人々が増し加えられていったことが記録されています。ここでも宣教のカギはクリスチャンたちが主を恐れ、心を一つにしていることである、ということがわかります。
17節以降では、ユダヤの最高議会、サンヘドリン、が使徒たちを再び逮捕し、今度は死刑にしようとしたことが記録されています。祝福のある所、反対や迫害はつきものなのです。
使徒たちは死刑は免れますが、むち打ちの刑を受けることになりました。しかし、彼らはむしろそのことを喜びと感じていたことが、41節には記されています。彼らがそう感じていたように、私たちも元々イエス様のゆえに迫害されることさえ許されないほど、神様から遠く離れた生活をしていた者です。それが、今や救いに与かりイエス様と一体のものと見做されるとしたら迫害さえもむしろ感謝なことではないでしょうか。

 中谷建晴



Copyright© Sakai Ohama Christ Church All rights reserved.