聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 イザヤ書 63章 「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。」 (イザヤ書 63:9) 1節から6節は、イスラエルの敵となったエドムを打ちイスラエルの仇を報われる救い主の幻、7節から14節は、イスラエルの歴史を通して、彼らを救い背負い抱いてこられた主の御業を思い返してささげた感謝、15節以下は、今の惨めな状況の中からの救いを求める叫びです。エドムはエサウの子孫でイスラエルとは親族でありながら、イスラエルに強く敵対したので、主がエドムを打ちイスラエルを救われる、と言うのです。主に仕えようとするとき、近い者と行き違いを生じ、その反対を受けることほど、つらく悲しいことはありません。しかし、その難関を主によって乗り越えさせていただくとき、真の祝福への道を歩むことができるのです。私たちは、静かに自分の生涯をかえりみるとき、そのすべての歩みを通して、主が私たちと苦しみをも共にし、私たちを救いに導き、罪を贖い、共に歩み、ときには抱き上げ、背負って運んでくださったことを思い返します。そのとき、主への感謝があふれ出てきます。イスラエルは個人のレベルだけでなく、民族として、その経験をしてきました。そのことを思い返して、イザヤは、主に感謝と賛美をささげ祈ったのです。彼は、主が彼らをご自身の子として大事にしてくださっていると確信して感謝をささげました。私も、自分の生涯をかえりみてこの賛美にアーメンと唱和します。しかしそういう感謝のなかにも現実の戦いはつづきます。その中でも主に救いを求めて祈ることができるのは何にも変えがたい幸いです。 唄野隆 |