聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 イザヤ書 56章 「彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。」 (イザヤ書 56:7) イスラエルがカナンの地に入ろうとしていたとき、主は、彼らの集会に、宦官や、不倫の子、また外国人が加わることを禁じられました。これから形造られなければならないイスラエル共同体が、性の乱れや悪の横行が日常茶飯事だったカナン人の風習に毒されず、きよく正しい社会となるためでした。しかし、そういう背景をもった人々も、主を信じ、主の教えに従うとき、主は彼らを受け入れられました。モアブ人の娘ルツはボアズの妻となり、彼女の裔からダビデが生まれました(ルツ記4:21,22)。また、エチオピア人の宦官はイエスさまを信じ、そのことが聖書に記録されました(使徒8:38,39)。今日まで続くエジプトのコプト教会は彼の働きの実だと言われています。主は、民族や身分などによる差別を超えて、“主に連なり、主の安息を守り、主の喜ぶことを選び、主に仕え、主の名を愛する”者はすべて、主の民としてくださるのです。主の御前では、人間的な差別は問題ではありません。主とのつながりだけが問題です。グローバル化した今の時代、私たちは外国人や文化的背景を異にしたいろいろなクリスチャンに出会います。初めて出会うときは、すぐには溶け込めず、何かわだかまりを感じても、イエスさまを信じる者は誰でも兄弟姉妹とされたのだと信じて、つきあいをつづけていくと、素晴らしい主にある一致を覚えるようにされます。素晴らしい恵みです。 唄野隆 |