聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                      イザヤ書 54章

「主は、あなたを夫に捨てられた、心に悲しみのある女と呼んだが、若い時の妻をどうして見捨てられようか。」
           (イザヤ書 54:6)

 イザヤは、ここまでは「主のしもべ」を単数形で表わし救い主を示していましたが、ここでは「主のしもべたち」と複数形を用い主の救いにあづかった主の民を示します。彼は、主の民を、若いときに主に娶られたのに姦淫と不貞のゆえに追い出され、「夫に捨てられた女」とさげすまれたが、今や主の愛をもって買い戻された妻という姿で描き出します。不貞の妻を買い戻し妻として改めて迎え入れてくださるとはなんと言う大きな愛でしょうか。主の救いはこのような驚くべき救いなのです。感謝し、恐れをもって、自分のすべて、自分自身をおささげするほかお応えするすべを知りません。自分に落ち度があるのに赦されたときは恐縮し小さくなるものですが、主は、“わたしは彼女を顧み、彼女を贖い、永遠の愛をもって憐れみ、その子孫は大いに増え広がる、だから、主を信じて、自分の天幕を惜しみなく張り伸ばし、右に左に増え広がれ”と勧めてくださいます。私たちも、主を信じ、“主は私の罪を完全に忘れ去られている、姦淫の民であった私は、今や主の愛する子とされている、イエスさまと共に共同の世継ぎとされている、遠慮なく大きな志を抱き、その実現を期待しよう、敵に攻められることがあっても、主が打ち勝たせてくださる”と信じ告白して良いのです。感謝です。ウイリアム・ケアリーが2,3節のみことばに答えてインド宣教に出て行ったことから近代の大宣教活動が進みましたが、私たちも、主を信じ、主にあって大志を抱きたいものです。

                            唄野隆



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