聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 イザヤ書 50章 「見よ。神である主が、私を助ける。だれが私を罪に定めるのか。」 (イザヤ書 50:9) 信仰生活は、主が恵みをもって私たちに語りかけてくださり、私たちが、真実をもってお答えするところで育ちます。私たちの側で大事なのは、私たちの責任ある応答です。しかし、人は責任を回避したがるものです。何かよくないことがあると、それを何かのせいにします。躓くと道が悪いと言い、夫婦関係がうまくいかないと相手のせいにします。仕事に失敗すると、上司の指示が不適切だったと言い、また客が悪いとつぶやきます。まじめに見える人も、自分を責めて落ち込むだけで、自分の責任を全うしようとはしません。しかし、そんな人にも、主は愛をもって語りかけてくださっているのです。まっすぐに主を見上げ、主のみことばをしっかりと聞き、たとえ責められても主の御手に身を委ねる深い信頼をもって主にお答えすることが大切です。それが責任ある応答です。そのとき、主はその人をしっかりと受け止め、助け、立たせ、用いてくださいます。この箇所は「主のしもべ」についてのイザヤの3番目の預言ですが、この主のしもべは、主のみことばを聞き、主のみことばを語って人々を励まし、反対者に打たれても引き下がらず、主の証をします。主のみことばに責任ある応答をする人は、真の主のしもべであるイエスさまのように、立派に主の証人としての使命を全うする小さい主のしもべとされるのです。そして、主は、このような小「主のしもべ」を喜び、彼を助け、彼が敵に打たれるときも、彼のそばに立たれます。ですから、彼は何者をも恐れることなく歩めるのです。私も逃げずに主の御前に立とうと思います。 唄野隆 |