聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                      イザヤ書 49章

「主は、生まれる前から私を召し、母の胎内にいる時から私の名を呼ばれた。」
           (イザヤ書 49:1)

 この章では、生まれる前から主が召し、その名を呼び、主のしもべとされた人のことが語られます。この主のしもべとは、私たちにとってはイエスさまです。父なる神に召され、主なる神の栄光をあらわし、堕落し滅びに定められ罪の捕囚の身とされている者たちを解放し、諸国民の光となられるのはイエスさまなのです。主のしもべは、「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。わたしはあなたを見守り、あなたを民の契約とし、国を興し、荒れ果てたゆずりの地を継がせよう。」と語られる主なる神の御声を聞いて、親しく神と交わり、捕らわれ人を解放し、山々を平らにし、谷を高くし、主なる御神への大路を開かれるのです。この御方を信じるとき、私たちも、主が、私の生まれる先から私に目を留め、私を召して主との交わりに導き入れ、主の御用に用いてくださることを悟るのです。私たちは、私が働いたことは無駄だったとか、主は私を見捨てたというような思いに捕らわれることがよくありますが、主は、“母が子を忘れるようなことがあってもわたしはお前を忘れない、お前の地は廃墟となっていても豊かに栄え、自分では生まなかった多くの子どもたちが、お前の子となり、お前は世界の王となる、そんなことはとてもと思えても、神はそれを成し遂げることができるのだ”と語ってくださっているのです。「主が私に目を留め、私を召してくださっていると言う自覚をもって歩む人生に導いてください。主よ。」と祈りました。

                            唄野隆



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