聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                      イザヤ書 48章

「わたしのため、わたしのために、わたしはこれを行う。」
          (イザヤ書 48:11)

 この章は「これを聞け。ヤコブの家よ。あなたはイスラエルの名で呼ばれ、ユダの源から出て、主の御名によって誓い、イスラエルの神を呼び求めるが、誠実をもってせず、また正義をもってしない。」という厳しい預言で始まります。イザヤの、イスラエルに与えられた恵みの大きさにたいする感動と、イスラエルの不真実さにたいするやるせなさとが心に迫ってきます。私の主の豊かな恵みにたいする感謝と、自分の罪深さにたいする悲しみと重なるのを覚えます。イスラエルは頑なで、すなおに主の仰せに従わないことを主はご存知で、ことが起こったとき、彼らが信じることができるように、早くから主のなさることを告げておられます。出エジプトの出来事もそうでした。2節の「先に起こった事」はそのことを示しています。今度も、ユダは不信仰のゆえに主のさばきを受け、バビロンに滅ぼされますが、ペルシャ王クロスによってバビロンが滅ぼされ、ユダは解放される、と主は語られたのです。そして、それは、世界の政治的状況の変化やユダの真実さのゆえではなく、ただ主ご自身のためだ、ということが語られます。主は「わたしのため、わたしのために、わたしはこれを行う。どうしてわたしの名が汚されてよかろうか、わたしはわたしの栄光を他の者には与えない。」と言われ、「バビロンを出よ。」と命じられます。主の救いは、主の恵みから出、主の御栄光のために進められます。私たちは、主の救いを受けて感謝し、主を恐れて御名を崇め、罪を離れ、主の道を歩みだします。「私もそうします。お導きください。主よ。」

                            唄野隆



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