堺大浜キリスト教会聖書一日一章
イザヤ書 33章
「しかも、そこには威厳のある主が私たちとともにおられる。」
(イザヤ書 33:21)
28章から繰り返されてきた災いの「ああ。」の6番目です。イスラエルとユダにたいするさばきの道具となったアッシリヤにたいする災いの預言です。イザヤは、まず、“踏みにじられなかったのに踏みにじり、裏切られなかったのに裏切る”アッシリヤに対するさばきを告げ、続けて、主に祈ります。「主よ。私たちをあわれんでください。私たちはあなたを待ち望みます。」そして「主はいと高き方で、高い所に住み、シオンを公正と正義で満たされる。あなたの時代は堅く立つ。」と主の救いを語ります。しかし、主の民の現実は、いまだなお悲惨な状態を免れていません。「見よ。彼らの勇士はちまたで叫び、平和の使者たちは激しく泣く。大路は荒れ果て、道行く者は途絶え、契約は破られ、町々は捨てられ、人は顧みられない。」しかしそのとき主は言われます。「今、わたしは立ち上がる。」そして、主の栄光を高らかにあらわされます。そのとき、主の民は、「麗しい王を見、遠く広がった国を見」ます。彼らを滅ぼした横柄な民、理解できないことばを話す民はどこかへ見えなくなります。砂漠の民は移動のたびに天幕の杭を抜いて移動するのですが、主の民は、もう移動する必要がなくなり、山の上のエルサレムに広々とした河が流れる、というような不思議な救いを経験します。イザヤはその救いをこう語りました。「しかも、そこには威厳のある主が私たちとともにおられる。・・・まことに、主は私たちをさばく方、主は私たちの立法者、主は私たちの王、この方が私たちを救われる。」この救いを私も待ち望みます。
唄野隆
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