聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                      イザヤ書 32章

「しかし、ついには、上からの霊が私たちに注がれ、・・・。」
          (イザヤ書 32:15)

 28章からの各章は、災いの「ああ。」で始まっていましたが、この章だけはその「ああ。」がありません。31章の続きということでしょうか。しかし、最後が「ああ、幸いなことよ。」です。災いの預言が続く中、救いへの招きが入れられたのでしょうか。「見よ。ひとりの王が正義によって治め、首長たちは公義によってつかさどる。」ということばで始まります。“ひとりの王が立ち、正義を行い、その王の下、何人もの首長たちが公正に民を守り、民は素直に教えに耳を傾け、悟りを得、それぞれが分に応じて幸いな日々を送る”というのです。すばらしい世界の到来の預言です。これが完全に成就する日がイエス・キリスト再臨の日です。私たちはその日を待ち望みます。しかし「恥ずべきことを語り、その心は不法をたくらんで、神を敬わず、主に向かって迷いごとを語り、飢えている者を飢えさせ、渇いている者に飲み物を飲ませない」者たちが力を得て支配しているのが今の世です。こういう世界はさばかれなければなりません。男たちは権力と支配を求め、女たちは「のんき」で「うぬぼれ」ていました。彼女たちは、そういう生き方を悪いとも思わず、改めようともしませんでした。彼女たちも滅びを免れません。そういうさばきの日がもうすぐ来る、とイザヤは語ります。それは真の主の民を育てるためでした。「しかし、ついには、上から霊が私たちに注がれ、」義と平和が満ち溢れた美しい環境の下での豊かな生活が与えられるのだ、とイザヤは語ります。主が、上から、救いの御手を伸べてくださるのです。感謝です。

                            唄野隆



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