聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 イザヤ書 28章 「主は、彼らに『ここにいこいがある。疲れた者をいこわせよ。ここに休みがある。』と仰せられたのに、彼らは聞こうとはしなかった。」 (イザヤ書 28:12) 28章から33章は、「ああ(わざわいだ)」で始まる災いの預言です。主に頼らず、人の謀に頼る者にたいするさばきが語られます。この章では、まず、「エフライムの酔いどれ」つまり、シリヤと結んでアッシリヤに対抗しようとしたイスラエルの指導者たちに、ついで、アッシリヤやエジプトと同盟を結んで国の安泰を図ろうとするエルサレムのユダの指導者たちに警告を与え、主に頼るように勧めます。しかし彼らは“イザヤの言うことは「戒めに戒め、戒めに戒め、規則に規則、規則に規則、ここに少し、あそこに少し。」、主のことばだと言うが、非現実的な幼児のたわごとだ”と嘲って聞こうとしません。それに対し、イザヤは、“彼らの語ることこそ、主の律法をつまみ食いするたわごとで、頼りにならない、彼らの同盟は成り立たない、にわか水があふれるように彼らは押し流され、敵に踏みにじられる”と語り、“主がシオンに据えられた礎の石、つまり主のみことばのみを頼れ、主は、昔、ダビデがペリシテ人を打ち破ったペラツイムでの大勝利(2サムエル5:20)、ギブオンでのヨシュアの大勝利(ヨシュア10:10)のように、大きな救いをもたらされる、農夫が畑を耕すのは、収穫を得てパンをつくりそれを食べて楽しむためだ、そのように主のこらしめは主の民の回復と救いのためだ”と語りました。主は私たちにも、主を信頼し主の救いを体験する者であれ、と語ってくださっています。まず主のみことばを聞くことの大切さを思います。 唄野隆 |