聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 イザヤ書 26章 「誠実を守る正しい民を入らせよ。志の堅固なものを、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。」 (イザヤ書 26:2、3) 前章の終わりに、モアブにたいするさばきが預言されていました。モアブは高慢で、高い城壁を誇り、自分たちは安全だ、と誇っていましたが、その城壁は引き倒され、モアブはさばかれる、とイザヤは預言したのです。この章では、それと対比するように、主の民は、主の城壁で救われる、と預言しています。そこに入る者は、「誠実を守る正しい民」、「志の堅固な者」です。何かをしたとか、できる者とかいうことではなく、主を信頼し、主を待ち望む者であるということが求められました。イザヤの言う義人は“一貫して主を待ち望み、主の呼び名を慕い、主を切に求める人”なのです。彼らには主のさばきから義を学ぶ柔らかさがあります。悪者は憐れみを示されても義を学びません。主を認めない頑なさにとらえられています。このことを覚え、「いつも主を見上げ、すべての事柄の背後に主の御手を認め、主を慕い求める者としてください。」と祈りました。神はご自分の民を祝福し、彼らは増え広がり栄えました。しかし、彼らは盛んになると主を忘れ主の懲らしめを受けて苦しみました。それは死の苦しみでした。主に逆らい罪を犯す者は死をもってさばかれるのです。しかし、主を信じる者には、その死の苦しみの中にあっても望みがあります。主にある死人はよみがえるからです。信じる者にたいしては死も力を持ちません。主の時が来、死の苦しみが襲うときも、後の戸を閉じ静かに身を隠していれば、主の救いが訪れます。感謝し、主を信頼します。 唄野隆 |