聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                      イザヤ書 24章

「私たちは、・・・地の果てからのほめ歌を聞く。しかし、私は言った。『私はだめだ。・・・』・・・。」
          (イザヤ書 24:16)

 イザヤは、まずイスラエルとユダのさばきを告げ(1−12章)、続いてイスラエルとユダを取り巻く諸国のさばきを宣告し(13−23章)、24章から35章にかけて、全世界へのさばきを告げます。24章は「見よ。主は地を荒れすたらせ、その面を覆して、その住民を散らされる。」というさばきの宣告で始まりますが、そのさばきは、祭司と民、奴隷と主人、貸し手と借り手などの区別なく、すべての者への宣告です。彼らが主の律法を変えとこしえの定めを変えたからです。地は荒れ廃(すた)り、人口は急減します。しかし「わずかな者が残され」ます。主の憐れみです。人々の歓楽は去り町々は荒廃します。そのとき、地の果てから、主をほめたたえる賛美の声が聞こえてきます。傲慢で暴虐なこの世の権力者がさばかれ、滅びるのは、主の正義の現われです。賛美の声が上がるのは不思議ではありません。しかし、その声を聞いたイザヤは、「私はだめだ。・・・なんと私は不幸なことか。裏切る者は裏切り、裏切り者は裏切り、裏切った。」と叫びました。裏切りの精神が自分たちを捕らえていることを知っていたからです。さばきは免れません。しかし、その罪の自覚が大事なのだ、と私には響いてきました。世のさばきを聞き、主の救いの完成を聞いて、自分の罪に気づき、罪を告白する者が、主の救いにあづかり、その恵みを本当に知り、「万軍の主がシオンの山、エルサレムで王となり、栄光がその長老たちの前に輝く」ことを心から喜べるからです。

                            唄野隆



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