聖書一日一章メッセージ集
創世記 49章
「私をヘテ人エフロンの畑地にあるほら穴に、私の先祖たちといっしょに葬ってくれ。」
(創世記 49:29)
ヤコブは、死を迎えようとしたとき、彼の子どもたちを呼び集め、彼らに、別かれのことばを述べました。それは、子どもたちひとりひとりの祝福を祈ることばでしたが、同時に、彼らのその後の歩みについての預言でもありました。ルベン、シメオン、レビについては、父のそば女と通じたこと、シェケムでの暴虐と彼らそれぞれの罪を指摘し、それが彼らのその後の歩みから祝福を奪うことになる、と告げました。彼らは罪を悔改めなかったのです。悔改めない罪は主からの祝福を妨げます。ユダも罪を犯しましたが、彼は自分の罪を認め(38:26)、弟ベニヤミンの代わりに自分が奴隷となろうと申し出ました(44:33)。このユダが兄弟たちの中でリーダーとなり、彼から救い主が出る、と言われたのです。悔改めて兄弟たちのために自分のいのちを捨てる愛の人と変えられる人に主の民の歩みが託されるのです(ヨハネ15:13)。ヨセフは兄弟たちのねたみを買い大きな苦しみを受けましたが、主の祝福をいただいて、大きく成長し、偉大な人となりました。彼の努力や精進によるよりも、“彼を助けようとされる彼の父なる神により、また彼を祝福しようとされる全能者による”ことでした。努力することは大事ですが、真の祝福は神から来るのです。ヤコブは最後に、自分を、エジプトではなく、カナンにある先祖の墓に葬るように命じました。自分の死をもって、子孫が主の約束の地(28:13)を求め、主の民となることを目指すようにと示したのです。
唄野 隆 |