聖書一日一章メッセージ集


                       

創世記 39章

「しかし、主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。」

                     (創世記 39:21)

 創世記の記事の場面はカナンからエジプトに移ります。兄たちに奴隷として売られたヨセフはエジプトで王パロの侍従長ポテイファルに買われ、彼の奴隷となりました。父ヤコブの特別扱いの愛を受けていたヨセフが一転して奴隷生活を送らなくてはならなくなったのですから、落ち込んだりやけになるのが当たり前だと思われるのに、不思議なことに、彼は、そこでも、幸福な生活を送り、すぐに頭角を現わして、主人の信頼を一身に集め、家のことはすべて任せられるまでになりました。どうしてこんな生活ができたのかと思われますが、聖書は、それを「主がともにおられた」からだと言います。「主がともにおられた」と何度も繰り返されています。そうとしか言いようのないほどの不思議な成り行きだったのです。それだけでなく、彼は体格も立派で美男子だったので、事もあろうに、主人の妻に見そめられ、誘惑されました。彼が断ると、今度は逆に彼が自分を手篭めにしようとしたと主人の妻が言い立て、怒った主人が彼を監獄に入れました。殺されても不思議でないのに、投獄されたのです。そして、監獄の中でも、「主がともにおられ」て、ヨセフは、監獄の長の好意と信頼を得、監獄のことすべてを任せられるようになりました。後で明らかになるように、これらすべては彼がイスラエルに救いをもたらすための備えでした。不幸に見える苦難も大きな祝福への備えだったのです。目に見える禍福ではなく、主とともに歩むかどうかが問題なのです。

唄野 隆




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