聖書一日一章メッセージ集


                       

創世記 28章

「見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。そして、仰せられた。」

                     (創世記 28:13)

 イサクとリベカは率直に話し合う関係ではなかったようです。リベカは、エサウの怒りからヤコブを救い出すという本音を隠して、“ヤコブまでこの地の娘を娶ればやりきれない、実家のラバンのところへやって彼の娘と結婚させよう”とイサクに持ちかけました。イサクは、自分の好みでエサウに祝福を与えようとしたのに思いがけない成り行きでヤコブを祝福してしまったとき、主の介入を感じ、悔改めて、主第一に方向転換していたのでしょう、ヤコブをパダン・アラムに送り出し、ラバンの娘を妻にするように命じ、主の祝福を祈って、ヤコブを送り出しました。エサウは、自分が妻にしたヘテ人の娘がイサクの気に入らないのだと察し、イシュマエルの娘を妻にしました。自分で何とかしようとする動きでした。主に目を向けて自分中心の生き方から主第一の歩みに切り換えたイサクと、あくまでも自分の才覚で事に当ろうとしたエサウの対比が心に留まりました。お前はどうか、と問われているのを覚えます。ヤコブが旅立ったとき、主が彼に現われ、彼を祝福し、“主がこの地をお前に与え、お前の子孫は増え広がり、すべての民の祝福となる、主は必ずお前をこの地に連れ戻す、主が約束されたことを成し遂げるまで主は決してお前を捨てない”と言われました。ヤコブは、感謝し、そこに石の柱を立て、主を礼拝しました。人間的に見れば“嫌な奴”ヤコブも、主の現われに接したとき、信仰をもって主に応えたのです。主の恵みの賜物と言うほかありません。

唄野 隆




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