黙示録 17章 「ここに来なさい。大水の上にすわっている大淫婦へのさばきを見せましょう。」 (黙示録 17:1) ヨハネは、大淫婦、大バビロンにたいするさばきを語ります。大水の上にすわるということは、もろもろの民族、群集、国民、国語、すなわち世界中すべての人々を支配するということです。七つの頭と十本の角をもつ緋色の獣は、11章でも出てきましたが、国家権力、その上に乗っている淫婦大バビロンはその首都を象徴的に示しているのでしょう。七つの丘の上に建てられたローマがすぐ頭に浮かびますが、ローマに限定せず、次々と現われた大帝国とその首都に当てはまると受け取ってよいでしょう。この淫婦は不品行によって地の王たちも地上のすべての人々も捕え、聖徒たちとイエスの証人たちを迫害し、その血に酔います。不品行は、直接的には、配偶者にたいする貞節を捨て、他の異性と通じることを言いますが、聖書では、主を捨て、自分を第一にし、自分の思いのままに生きることを言います。私たちの時代も、神第一ではなく、自分第一、自分の願いどおりに生きるのがよいと思う時代です。しかし、彼女は獣によって滅ぼされます。内部分裂によって滅びるのです。神さまを大事にせず、自分を第一にする生き方は結局は滅びを招きます。その獣は、昔いたが今はいないと言われます。昔は国の力が強大でしたが、今はあまり国を意識しないでもすむということでしょうか。しかし、また国家権力が猛威を振るう時代が来て、それから世の終りがくる、と言われているのではないか、と思いました。今も、後も、いつも主に忠実でありたいと思います。
唄野 隆 |