2ペテロ 1章 「私たちは、さらに確かな預言のことばをもっています。・・・暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。」 (2ペテロ 1:19) この手紙も、ペテロが、あちこちに散らされているクリスチャンたちに、偽教師たちの教えに惑わされず正しく主を知るように、と警告し励ますために書かれた手紙だと思われます。まず、主を知ることから、いのちと敬虔に関するすべてのもとを得(2,3)、実を結ぶ人生を送る(8)ことが始まるのだと語っていることに目が留まります。この知るは、ただ事実を認識するというだけのことではなく、知った御方を信頼し、尊敬し、愛し、慕い、思いと生活を共にしたいと思うまで深く知ることです。主は私たちとそのように深く知り合う関係に入りたいと願っておられるのだと思うと、恐れと心が躍るような感動とを覚えます。ペテロは、変貌山上で、イエスさまの御姿が変わり透明に光り輝くのを見、天から「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶものである。」という御神の御声を聞きました。すばらしい主を知る神秘的な経験でした。このような知り方で主を知りたいと思います。しかし、ペテロは、「私たちは、さらに確かな預言のことばをもっています。」と言い、「夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。」と言います。神秘体験に確証される預言のことばが確かな導き手なのだ、聖霊によって語れたことばだからだ、というのです。私も、聖書のみことばを神のことばとして受け、みことばによって、信仰、徳、知識、自制、忍耐、兄弟愛、愛、を求めます。
唄野 隆 |