「キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。」 (1ペテロ 4:13) ペテロは、クリスチャンはこの世においては愛をもって人々を生かし、交わりをそだてるように、勧めました。しかし、人は生来、自分を第一に考えるものです。お互いがそういう姿勢で関わると、必ず衝突があります。好意をもって接しても激しい反発をくらうことがあります。こういうわけで、私たちも大きな苦難に遭うことがあります。その苦難をどう受け止めるかを、ペテロは、今日の箇所で、語ります。まず、苦難の意味を示します。彼は、“苦しみを受けるとき、人は罪との関わりを断たれ、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためでなく、神のみこころのために過ごすようになる”と言いました。苦難そのものは歓迎したくなくても、そのことによって、平穏無事な時は抑えきれないこの世の欲望に発する淫らな生活から離れることができるのは幸いです。ですから、ペテロは、苦難を避けようとするのでなく、苦難を積極的に受け止めるように励ますのです。その姿勢を支えるのが、この世には終わりがあることとその終わりの日が近づいていることとをしっかり確認することです。終わりの日が来ると、私たちは、自分の人生の決算書を出さなければなりません。ですから、今の時を、祈り深く、慎みをもって生き、お互い愛しあって生きることを目指します。与えられている賜物を十分に用いて、お互いを生かしあいます。また、イエスさまも苦難を通して私たちの救いを完成されました。イエスさまを信じ、キリストのゆえに苦しみを受けるのは、主の苦しみにあずかることです。災いではなく光栄なのです。
唄野 隆 |