「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」 (1ペテロ 2:2) クリスチャンとはどういう者であるかを語ったペテロは、悪意やごまかし、ねたみ、悪口を捨てて、乳飲み子のように、みことばを慕い求めるように勧めます。彼らが救いを得、成長し、同じ主を信じる兄弟姉妹と結び合わされ、神を宿す神の宮となり、主を証するためです。そのために、主は彼らが成長するためのみことばの乳を備え、それを慕い求めるように命じ、主の御許に来るように招き、生ける石として主の霊の家に築き上げられるように励まし、聖なる祭司として神に喜ばれる霊のいけにえをささげるように勧めます。このたてつづけの勧めを聞くとき、主がどんなに彼らを愛し、彼らの救いと成長を望み、そのための備えに力を注いでくださっているか、がわかります。そのために、主は、イエスさまをお与えくださいました。イエスさまは、信じない人にとっては捨てられた石でしたが、信じる私たちには神の宮を建てる確かな礎です。主は私たちを、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民だ、と言ってくださいます。私たちがやみの中からご自分の驚くべき光の中に招いてくださった主のすばらしい御業を宣べ伝えるためです。口で語るだけでなく生活をもって証するのです。“世にあって生きているが、この世のだれの奴隷にもならず、自由に、寄留者、旅人として、この世の主権者や主人たちにはよく仕え、不当な仕打ちにも耐え忍び、すべての人と平和を保ち、主を証するように”という主の励ましを心して聞きました。
唄野 隆 |