「あなたがたは私たちの栄光の主イエス・キリストを信じる信仰を持っているのですから、・・・。」 (ヤコブ書 2:1) ヤコブは、1章で「みことばを実行する人になりなさい。」と勧めましたが、2章でそのことについてさらに詳しく語りました。まず「人をえこひいき」してはならないと命じました。信仰が実際生活に実を結んでいるかどうかは、周りの人々をどのように見、どういう接し方をするかというところに現われます。金持ちや地位のある人を重んじ、貧しい人や重荷を背負っている人々を軽んじる差別は、この世のことに心を向け、善人にも悪人にも分け隔てなく太陽を上らせ雨を降らせてくださる御父のまなざしで人を見ず、ご自分のいのちを捨てて私たちを救ってくださったイエスさまを信じ敵をも愛するイエスさまの道に歩まないところに出てくる考えであり行動です。信じるとは、聞いたことを本当だと受け止めるところで始まり、信じたとおりに生活し行動するところで実を結ぶのです。パウロは、律法の行いによるのではなく、神の恵みにより信仰によって救われると語りましたが(たとえば、ローマ3:28、エペソ2:8)、「私たちは神の作品であって、良い行いをするために、キリスト・イエスにあって造られたのです。」とも言います(エペソ2:10)。ヤコブと対立しているわけではありません。真の信仰は生活と行動に表れるものです。頭だけ口先だけの信仰ではまだ本物になっていないと言えるでしょう。ですから、ヤコブは、行いのない信仰は死んだものだ、と言うのです。救いの根拠は行いでなく信仰ですが、信仰の真偽は行いに現われるのです。
唄野 隆 |