ヘブル書 11章
「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」
(ヘブル書 11:1)
私たちはいろいろなことを願いますが、その実現を信じきれず、やがて、あきらめ、忘れてしまうことがあります。しかし、長い時間が経って、その願いが実現していることがあります。信じられずに忘れたしまった人はそのことに気づかず、何の益もえません。しかし、主に祈った後、何の答えもえられないときも、おぼろげながらでも信じ続け、不安を持ちながらも望みを抱いていた人は、そのことに気づいたときどうするでしょうか。自分の不信仰を恥じ、主の真実に感動し、本気で主を信じるようになるでしょう。ヘブル書の著者は、「信仰は望んでいる事がたを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」と言いました。そして、そのような信仰を抱いて、地上では、そのしるしとなる部分的実現を見たり、あるいはむしろ願いとは逆の経験をしながらも、あくまでも主を信じ続け、主の賞賛を得た人の歩みを列挙します。その途中で、「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神のおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」と言いました。信じて近づく者をご覧になるとき、主もまた彼を喜び、彼の益となる答えを与えてくださる、と信じる者と神さまとの親しい人格的交わりのすばらしさを示しているのです。私も、主にあって望むところをすでに得たものと信じ、目に見えない主がその最善の恵みを目に見えるように実現してくださることを信じます。
唄野 隆 |