ヘブル書 6章 「私たちは、あなたがたがひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について、十分な確信を持ち続けるように切望します。」 (ヘブル書 6:11) 大祭司のことを語りだした著者は、その途中、5章で、“あなたたちはもう人を教える立場に立つはずなのにまだ初歩から教え直されなければならない状態だ”と叱り、ここ6章では、“いつまで基礎に止まっているのか、成熟を目指してもっと先に進め、いったん天からの賜物を味わい聖霊にあずかる者となってそれから離れるような者には、もはや悔改めの機会はない”と迫りました。一生懸命に福音の真髄を語り教えているのに進歩が見られない、何とかならないのかというヘブル書著者の、読者の信徒たちに対する愛と苛立ちが感じられます。神の恵みを味わって離れる者には悔改めの機会がない、ということばは、宗教の世界の法則を冷たく語ったものでなく、思うように成長しない信徒を見ていらだち、迫る、教師の愛と激励のことばだ、と私には響いてきます。ですから、彼は、すぐ続けて、“こうは言ってもあなたがたにはもっとよいことを確信している、神はあなたがたの御名に対する愛を忘れられない”と言ったのでしょう。著者の彼らに対する本心は「私たちは、あなたがたがひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について、十分な確信を持ち続けるように切望します。」というところにありました。彼は、主が私たちに救いを堅く約束し誓いをもって確認してくださっていることを確信していたのです。このメッセージをお前はどう聞くか、と迫られます。
唄野 隆 |