ヘブル書 5章
「キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全なものとされ、・・・神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。」
(ヘブル書 5:8−10)
神さまが私たちに与えてくださった救いは、罪人が神の御前に出、神との交わりに入れられるという、理解し難い恵みに満ちた深遠な救いす。神と罪人との交わりですから、罪人の弱さを完全に理解し、同情し、同時に、完全な罪の贖いを成し遂げ、神さまが満足するささげ物をささげることのできる仲立ちがいなければ成り立ちません。それは神と人との仲立ちですから、人が勝手に選ぶことはできません。神に立てられた御方でなければなりません。そういう神さまと私たちとの間の仲立ちをする御方を、神さまがお立てくださったのです。大祭司なるイエス・キリストです。神の御子ですから、神さまの御前に立つことができます。そして、人となり、多くの苦しみを通られましたので、人の弱さは十分にわかってくださいます。この大祭司を与えられたので、私たちは、この御方によって、安んじて、神さまの御前に出ることができます。何という恵みでしょうか。この大祭司は、イスラエルの歴史の中で立てられたアロンとその子孫である大祭司たちとは違って、ご自分のための罪のささげ物は不要で、神と人との仲立ちのつとめを完全にお果たしになることができます。モーセの律法が与えられる以前、先祖アブラハムを祝福したメルキゼデクが指し示している完全な大祭司です(創世記14:18−21)。この奥義は理解し難い深さをもっています。悟りを与えてください、と祈りました。
唄野 隆 |