ヘブル書 3章
「もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となるのです。」
(ヘブル書 3:14)
人は神を慕い求め神に受け入れられることを願う一方、神はあまりにも高く直接、神にいたることはできないと考え、仲立ちを求めます。そういうところから御使いを崇める心が出てくるのですが、ヘブル書の著者は、前のところで、御使いではなく、イエスさまこそ、そしてイエスさまだけが神さまと私たちの仲立ちになってくださる御方であると語りました。そして、ここでは、モーセを神さまとの間の仲立ちだと受け取るユダヤ人に向かって、モーセは神の民イスラエルにしもべとして忠実に仕えたが、イエスさまは、神の家、キリストの教会を、神の御子として、忠実に治められるのだ、と言います。神さまに近づくためにこの御方以上にふさわしい仲立ちはありません。ですから、私たちは、イエスさまを信じ、イエスさまに聞き従うことがなによりも大事です。イスラエルは、神さまの恵みをいただき、モーセを通して、神さまのみことばを聞いたのですが、心をかたくなにして、神さまを信じませんでした。それで、神さまは、神の民のために備えられた安息に彼らを導かず、不信の彼らを荒野で滅ぼされました。ヨシュアに率いられて約束の地カナンに導かれた後も、彼等は真の安息を得ませんでした。その安息を与えてくださるのはイエス・キリストなのです。イエスさまの福音を聞いたときの確信をしっかり保ちつづけるなら、私たちはキリストにあずかる者となり、主の安息に導かれます。「主よ。信仰を与え、安息に導いてください。」と祈ります。
唄野 隆 |