テトス 3章
「私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛が現われたとき。」
(テトス 3:4)
パウロは、この世の支配者に従順に従い善い業に励むよう、そしてお互いの間では穏やかで争わないようにと勧めます。しかし、意気地のない人間になるようにという勧めではありません。神を退け自分で自分を主張し自分を守ろうとするとき、人は、ひとと争い、怒りと自分の欲との奴隷となってしまいます。しかし、主を知り、主の愛の中におかれていることを確信するとき、安らぎを得、この世の権力闘争の外側で生き、人々に穏やかに接することができます。主が私たちを救ってくださったのは、そういう生活に導くためでもあったのです。パウロは、「私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛が現われたとき、神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。」と言いました。イエスさまの救いを信じるとき、聖霊は私たちを造り変えて新しい人とし、主と共同の相続人とし、主の愛の中に安らぎ、確信をもって主を証し、人々との間に平和を生み出し育てる人生に導いてくださいます。それが主の証の助けとなります。そのような実を結ばせるものは、主の健全なみことば、そしてそれを素直に信じて受ける信仰です。愚かな議論、系図をめぐる口論、律法についての論争など、自分の知識を誇る空理空論を避け、健全な主のみことばを素直にお受けしたいものです。最後のパウロとテトスとの親しいやり取り、アポロやゼナスなどの同労者へ細やかな配慮も、主を信じる者の間で味わえる恵みであることを覚えます。
唄野 隆 |