聖書一日一章メッセージ集



2テモテ 3章

「けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。」

                     (2テモテ 3:14)

 人間はいつも自己中心ですが、ふだんはそれを隠し、いかにも博愛主義者のような顔をします。しかし、終わりの日には人の自己中心性がむき出しになる、とパウロは言います。神を敬わずに自己主張し、自分の名誉や利益を求め、快楽を愛し、他人を無視し、軽蔑し、自分を愛し、金を愛し、大言壮語し、不遜で、神をけがし、両親に従わず、感謝を知らず、汚れ、情け知らず、和解せず、ひとをそしり、不節制、粗暴、善を好まず、裏切り、向こう見ず、慢心、神よりも快楽を愛す、とパウロが並べ立てた悪徳はすべて自己中心の現われです。外見は敬虔に見せていてもその奥には強烈な自己主張が潜んでいます。歴史物語などでも、豪華な贈り物が相手を喜ばせるよりは自己顕示と相手の屈服を求めるものである場合がよく出てきます。そういう者はやがて滅びを招きます。主のしもべは、世の中のそういう動きを見ても騙されず、しっかり主に結びついた敬虔な歩みをすべきです。しかし、そういう生き方は、自己中心の世の人々にとっては目障りで、迫害を受けます。ですから、敬虔に生きようとする者は迫害を受けることを初めから覚悟して、敬虔を追い求めるように、とパウロは勧めるのです。その歩みは、主から教えられ学んだことを確信し、そこに止まることによって保たれます。それは、具体的には、聖書に教えられていることです。私も、聖書は知恵を与え、イエス・キリストに対する信仰によって救いを得させてくださることを確信し、聖書のみことばをしっかり聴き、そこに止まり、それに従おう、と決心を新たにしました。

唄野 隆




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