コロサイ書 1章
「それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。」
(コロサイ 1:28)
コロサイ書は、ローマで捕えられていたパウロが、彼を訪ねてきたコロサイのエパフロデテも捕えられたので、ローマの獄中からコロサイとその近くのラオデキヤの教会とを励まし導くために書き送った手紙だと思われます。パウロはまず自分がキリスト・イエスの使徒であることを宣言し、ついでコロサイの教会の人々が、キリストに対する信仰と、すべての聖徒たち対する愛と、天来の望みとに満たされていることを聞いたと述べて、彼らに対する深い愛と尊敬とを言い表します。こういう愛と尊敬の表現は聞く者をどれだけ強く深く励ますことでしょうか。そして、彼らが「あらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされる」ように、と祈りました。彼らが直面している問題が間違った教えで、彼らがまず必要としたのが正しい知識をもつことだったからです。そして彼らが知るべきことを諄々と語ります。“御子こそ天地万物の主、そして彼らの救い主、救われた者は教会に救い入れられるが、その教会の主は御子、御子キリストは、彼らの中に住んでくださっている、そのキリストを信じて立つことが信仰の成人となることだ、そのために私たちはあらゆる苦しみを担いながら苦闘しているのだ”と。彼らが信じて救われ、さらに信仰の成人となるようにパウロは力を注ぎました。「こういう人たちのご奉仕によって私たちにも全き福音が伝わってきたのです。私たちもキリストにある成人となるまで育ててください。」と祈りました。
唄野 隆 |