聖書一日一章メッセージ集



ピリピ書 3章

「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っているのです。」

                       (ピリピ 3:8)

 パウロは、手紙の最後に、悪い働き人、つまり神の選民ユダヤ人だと誇り、割礼を受け律法を守らなければ救われないと主張する偽教師たちに気をつけるようにという注意を付け加えました。彼らの教えが、キリストから目をそらせ、人間的なものに頼らせる危険な教えだったからです。彼は、自分は彼ら以上に生粋のユダヤ人であり、生まれて八日目に割礼を受け、パリサイ人として律法を厳格に守ったが、イエスさまを知ったことの素晴らしさのゆえに、それまで誇りとしていたそれらの特権をゴミのようにつまらないものと思うようになった、と言いました。彼が、イエスさまを知ることがどれほど素晴らしいことだと思っていたかがよくわかります。それは、イエスさまを信じるとき、自分の中には、何も善いものがないのに、イエスさまを信じる信仰のゆえに、神さまから、お前はそれで善いと認めてもらえるからです。その恵みを経験すると、そこに安住するのでなく、イエスさまの死と合わせられ、キリストの復活にあずかることを求めて、後のものを忘れ、前のものに向かってひたすら進む歩みに導かれます。そこに達することができるかどうかという不安をともなってではなく、キリスト・イエスさまがそれを得させるために私を捕らえてくださっているという確信に満たされた前進です。必ず与えられることを確信して、未だ手にしていない天来の祝福を目指して前進する歩みは何と素晴らしい歩みでしょうか。私たちは、その歩みに召されているのです。

唄野 隆




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