ピリピ書 2章
「キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われたのです。」
(ピリピ 2:8)
前の章で「キリストの福音にふさわしく生活しなさい。」と薦め、それは一つとなって主のために生きることだと教えたパウロは、この章で、続けて、「あなたがたは、一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。」と語りかけます。一致は目標が一つであるところで育ちますが、お互いの間では、自分をへりくだらせ相手を尊敬することが必要です。しかし、人は自分のことを第一にし他人のことは顧みないものです。イエスさまを信じ、御霊を受け、御霊のもたらす実、愛をいただいてはじめて、自分のことだけでなく他の人のことを大事に思えるようになるのです。それは御霊によってイエスさまの歩みを見るようになるからです。イエスさまは神の御子でしたが、神のあり方を捨てて、ご自分を無にし、仕える者の姿をとり、人となられました。私たちの罪を贖い、私たちを神の子とするためでした。このイエスさまの歩みを御父はお喜びになり、イエスさまを高く上げ、すべてのものがイエス・キリストを主と告白するようにさせられました。このことが本当にわかるとき、私たちも、自分を捨て他の人を大事にする姿勢が整えられ、お互いの間に共に主を仰ぐ一致が育ちます。それは御霊が与えてくださるものですが、私たちもそのことを知って、自分でもその実現のために励む必要があります。そう願う願いも、それを実現させようという堅い志も、実は主が与えてくださるものなのです。パウロもテモテもエパフロデトもそのように生きた人々でした。私も彼らに従う者でありたいと願いました。
唄野 隆 |