ガラテヤ書 5章 「あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。」 (ガラテヤ 5:13) イエス・キリストを信じる信仰は信じる者に自由を与えます。信仰のない人は自分のための人生を歩みます。自分を神に認めてもらおうとして、律法を守ろうとしますが、律法を守らないと滅ぼされるので、その歩みは律法に縛られた律法の奴隷の歩みになります。自分の欲望を満たそうとして、不品行、汚れ、偶像礼拝、そねみ、分派を生み出します。自己中心の歩みは初めは立派で好もしく見えても、結局は奴隷の道、滅びにいたる歩みです。しかし主は私たちに自由を与えてくださいます。イエスさまを信じイエスさまと一つにされるとき、古い自分はイエスさまとともに十字架につけられて死に、イエスさまとともに新しい人によみがえらされます。そのとき、その人は律法のしばりから解き放たれ、自由に生きることができます。しかし、その自由は古い自己中心の自由ではなく、私たち罪人の救いのためにご自分を捨ててくださったイエスさまとともに生きる自由です。肉、つまり古い自己中心とは無縁の、愛をもって互いに仕えあう自由です。それはイエスさまを告白させる聖霊による歩みです。そこで生み出されるものは、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。こんな聖霊の実を生み出す自由な人生を主は備え、そこに招いてくださっているのです。現実はまだまだそれにはるかに遠いことを認めながらも、そのような人生が備えられていることを信じて、感謝し、その自由を楽しみ、互いに仕えあおう、お導きください、と祈りました。
唄野 隆 |