2コリント 6章 「私たちは、神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。」 (2コリント 6:1) パウロはコリントの教会を愛していました。彼らがイエスさまを信じて救われ、主とともに生きる喜びの生活に入るように願っていました。ですから、彼らに福音が伝えられた今、今こそ、その恵みの時、救いの日だ、と言いました。そして、自分自身の主を信じる信仰の生き様を見せ、彼らも主の福音を信じるようになることを願いました。彼は大きな苦難の中でも、「純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と、真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、」人々の反応がどうであれ、自分はひたすら神のしもべとしての歩みに励みました。すべて、彼らがイエスさまこそ主であることを認め、彼らもイエスさまを心から信じるようになるためでした。この生き方から二つのことが出てきます。一つは主を恐れる者たちすべてに大きく心を開いた、開かれた愛の姿勢です。パウロは、私たちの心はコリントの教会にたいして大きく開かれていると言いました。もう一つは「不信者と、つりあわないくびきをいっしょにつけない」ことです。主は私たちをご自身と一つになる交わりに招かれました。「わたしは、彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らもわたしの民となる。」と言われるのです。主とひとつとなるとき、他のものに身をまかせることはできません。主は「彼らと分離せよ。」と言われます。この世の生活での不信者との接触は自然ですが、生死を共にするかかわりに入ることは不自然です。
唄野 隆 |