2コリント 5章 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」 (2コリント 5:17) 人は年をとったり病気になったりして体が衰えてくると死を恐れます。しかし、パウロは今の肉体を離れてイエスさまの御許に行くことを待ち望んでいました。「私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神のくださる建物があることを、私たちは知っています。それは人の手によらない、天にある永遠の家です。私たちはこの幕屋にあってうめき、この天から与えられる住まいを着たいと望んでいます。」と言っています。彼は、それだけ深く、肉体にまといつく罪の現実を自覚し、イエスさまによる救いを味わい、その完成の希望に満ち溢れていたのです。キリストの愛に取り囲まれていること実感し、キリストが死なれたのは、人々が、そのことを知って、もはや自分のためではなく、自分のために死んでよみがえった御方のために生きるためだ、と確信し、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」と宣言しました。このことを確信するとき、私たちは罪人として神と敵対関係にあるのではなく、キリストにより、神との和解を与えられ、人々に神との和解を呼びかけるつとめを果たす者とされていることを悟るのです。「肉体の衰えを嘆き、いつ死ぬかと恐れながら生きる生活でなく、主とともに生きる生活に導かれ、主とともに住むことを待ち望む歩みに導いてください。罪の自覚と救いの体験を確かなものとし、イエスさまの愛を実感させてください。」と祈りまた。
唄野 隆 |