聖書一日一章メッセージ集


2コリント 3章

「しかし、人が主に向くなら、・・・。」

                    (2コリント 3:16)

 エルサレムの教会からの手紙のようなちゃんとした推薦状のない者に権威はないというコリント教会の一部の人たちに対して、パウロは、コリントの教会はパウロが福音を語り御霊が働いて生まれた教会で、コリントの教会そのものがパウロによって神が書かれた推薦状なのだ、と語り、人間が決め人の文字で表現された制度や定めではなく、主の御霊が生み出すいのち、御霊による主との交わりが人を生かし主の栄光を現わすのだ、ということをねんごろに教えました。パウロの反対者がより頼んでいたモーセは、主の前に出たとき、その顔が輝きました。しかし、その顔の輝きが消えるのを見せることを恐れ、モーセは顔おおいをかけました。人々は、モーセが語ったことを文字に現わした律法の定めを形どおりに守ることによって主に認めてもらおうとしました。そこでは、律法を守りきれていない正体が暴露されると責められるので、人は顔おおい、つまり仮面をかぶって生きるようになりました。しかし人が主に向くなら仮面は必要でなくなります。主は、罪を責めないで、それを自ら引き受け、ご自身の血をもって贖ってくださるからです。主に向かうとき、私たちは仮面を取り去り、まっすぐ主に向かいます。そのとき主の栄光を反映して輝きます。主から目をそらすとき輝きは消えますが、悔改めてまた主に向くと、また主の栄光を反映して輝きます。先の栄光とはまた別の栄光を輝かせます。こうした経験の繰り返しのうちに、御霊さまが、その人を主と同じ姿に変えてくださるのです。何と素晴らしい恵みでしょうか。感謝です。

唄野 隆



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