1コリント 11章 「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」 (1コリント 11:25) パウロは、コリント教会の分裂や不品行の罪を責め、結婚や偶像にささげた肉などコリント教会の人々が確信をもてない諸問題について丁寧な教えを与えたうえ、今度は教会の秩序を重んじるべきことを語りました。当時のコリントは湊町で、卑しい職業につく女性も多く、彼らの中から救われた人たちもいたようです。彼女らは信仰による自由を誤解し、気ままで無秩序な生き方を教会に持ち込んだようです。そういう風潮に対して、教会は主の秩序を重んじるべきことをパウロは語ったのです。「すべて男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。」と教会の秩序を示し、当時の社会的風習を考慮しながら、女は礼拝では被り物をかぶり、教会での言動を慎むように命じたのです。それは教会での晩餐のときにも当てはまる原則でした。当時のコリントの教会では、教会で主の晩餐を共にしたようですが、そのとき、貧しい者や弱い者への配慮を忘れ、我れ先に貪り食って、吐き出しそうになるほど食べた者、ときには泥酔する者もおれば、食べられないでいる者もいる、というような有様だったようです。パウロは、そういう自分中心の人たちを戒め、主の晩餐を思い出させ、イエスさまは、ご自分のからだを裂き、ご自身の血を流して私たちを贖ってくださったのだ、ということを思い出させました。私たちも、主の聖餐にあずかるたび主の救いを覚えるとともに、兄弟姉妹を愛する生活に整え直していただこう、と思いました。
唄野 隆 |