1コリント 10章
「あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」
(1コリント 10:31)
偶像にささげられた肉の問題に答えるにあたって、パウロは、イスラエルと重ねながら、自分たちがどういう者なのかを思い返させます。“イスラエルが雲に導かれ、紅海を渡ってエジプトから救い出されたように、私たちはバプテスマによって罪の奴隷からキリストにつく者と変えられ、イスラエルが天からのマナを食べ岩から湧き出た水を飲んだように、私たちはみことばを糧にし御霊を飲んで生かされている、だからそういう者にふさわしく、生まれつきの欲に従った生き方でなく、主の者らしく生きよ”と言ったのです。そして、具体的に、偶像礼拝、姦淫、主を試みる思い、つぶやきを警戒するように、と勧めました。それは一言で言えば、主を第一にする生活です。偶像礼拝は自分の願う願い事を満たしてくれる自分の思い通りになる神を造り出すこと、姦淫は自分の生まれつきの性的欲望を満たすために神の定められた聖なる結婚関係を無視すること、主を試みるのは信じてもらいたかったら何か不思議をやってみろという不信から出ること、つぶやきは自分の願いが満たされないときに出てくることば、いずれも、主を第一にするのではなく、自分を第一にする思い、姿勢、言動です。その奥に神を退けるサタンに仕えさせようとする力が働いています。私たちは、そういうサタンの力に打ち勝って、主に生きることが求められているのです。「私も、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにします、助けてください。」と祈ります。
唄野 隆 |