1コリント 4章
「私をさばく方は主です。ですから、あなたがたは、主がこられるまでは、何についても先走ったさばきをしてはいけません。」
(1コリント 4:4,5)
コリントの教会は、ペテロとか、パウロとか、アポロなどの優れた奉仕者をかつぎ、自分が良いと思う指導者を高め、他の働き人を批判し、お互いの間でいくつもの党派に分かれて対立していました。その根っこにあったのは、自分にはだれが正しくだれが間違っているかを判断する力があるという誇りでした。信仰には自分を頼む誇りが最も大きな妨げとなります。パウロはそのことをコリントの教会の人々に悟らせたかったのでしょう。人の判断はどんなに頼りないかを認め、人の評価や評判に惑わされず、ただ主のさばきにゆだねることが大切だ、主のさばきが明らかになるまえに、自分が先立って勝手なさばきをしないように、と勧めました。そのとき、彼は自分自身をもさばかない、と言いました。人は他人の間違いにはすぐ気づき彼らをさばきの目をもって見ますが、自分の間違いや罪には目を閉じます。しかし、まじめな人で、自分の罪や弱さを苦に病み自分でもうだめだと決めつけて落ち込む人もいます。パウロは、自分自身をさばくことも主にゆだねるように勧めました。本当に、自分を主のさばきにおゆだねするときは、自分の罪深さを認めるように導かれますが、それだけでなく、そこから救い出してくださる主の愛に触れ、信頼と希望をもって新しく歩み出すことができます。そして、主が、その私の中に、隠されていた主からの宝を明るみに出し、主からの賞賛を聞かせてくださるのです。すばらしい恵みです。私も、人にではなく主に目を注ぎます。
唄野 隆 |